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"すてにゃん" こと id:stefafafan のブログです

わたしとインターネット

はてな20周年ということで、お題に沿ったエントリーを書きます。

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
blog.hatenablog.com


インターネットはわたしの人生に大きな影響を与えている。

小学時代は家から学校までの距離がそこそこあったため、PHSを持たされていた。しばらくPHSユーザだったため、周りのガラケーユーザがiモードにつないでガラケー向けサイトを閲覧していたことに嫉妬していた。

念願のガラケーになり、親からもお下がりのWindows 98搭載PCを使って良いよと言われ、自分の部屋でパソコン作業ができるようになった。ただこの時点では大したことはできなくて、インターネットにも染まりきっていなかった。

中学〜高校くらいの時期になると、太鼓の達人にハマった。家にはゲーム機がなかったので、代わりにゲームセンターで音ゲーをやるようになった。ゲームセンターといっても田舎のスーパーの一角のゲームコーナーにおいてある筐体で遊んでいたという感じでとても小さなコミュニティだったが顔馴染みが数人できた。そこの人たちとリアルで会う時以外も繋がれるようになったのがインターネットの掲示板だった。このゲームに関する掲示板で毎日曲の攻略方法やお互いがめざしている太鼓の達人界隈の有名人などについてやりとりを続けた。学校以外の知り合いがこうやってできるのはすごいことだと思った。

太鼓の達人関係の知り合いは気がついたら地元のスーパーよりも広がり、より都市部のゲーセンへと遠征し、他都道府県の方とも一緒に切磋琢磨するようになった。自称マイバチ職人が遠征してきた時はその人からマイバチを頂いたりした。中には太鼓の達人プレイの様子をキャプチャしニコニコ動画に高画質でアップロードしている人もいた。

この「ニコニコ動画や動画のエンコードに詳しい人」とも会話をするうちに、パソコンの自作を勧められるようになった。そこからしばらくコンビニでアルバイトをしたわたしは、給料が入るたびにちょっとずつパソコンのパーツを買い、数ヶ月にわたって徐々にパソコンを組み立てていった。結果、親のパソコンよりも高スペックな当時最新のWindows 7の入ったパソコンが完成した。インターネットにも繋がっているのでいつでもネットができるようになった。とても興奮した。

ニコニコ動画でも活動するようになった。AviUtlなどの編集ソフトを使い、素材を組み合わせた(自称)おもしろ動画を多数アップロードした。動画説明文に検索ワードを含めると再生数が増えるらしいとか、SEOっぽいことを意識するようになった。時にはクオリティが低いと知らない人からコメントをもらい、悲しい気持ちになったりもした。MikuMikuDanceというソフトも触ってみたり、MMD杯にも参加するようになった。とても楽しかった。

2ちゃんねるも少しみるようになった。学校の先輩でオタクの人たちがいて、オタクってギークでかっこいいと純粋に思い無我夢中で知識をつけた。J:COMでやっていたハヤテのごとく!をみたり、涼宮ハルヒの憂鬱らき☆すたを見た。自分の見たアニメ一覧を自宅PCのExcelにリスト化しまとめた。家でひとりニコニコ動画にあがっている踊ってみた動画を反転したものを真似して踊る練習もした。ネットにいる「濃い」人たちになりたかった。

この流れでハッカーってかっこいいと思った。Twitterで「にゃーん」とつぶやいているハッカーの人たちをフォローした。憧れの対象だった。どうやらはてなブックマークというサービスでハッカー的な知識が得られるというのを知り早速はじめた。高校でわたしがプログラミングに興味を示していることを数学の教師に知られ、Pythonの教科書を与えられた。この時は長すぎて断念した。

大学はコンピュータ関係一択という決心をして受けた。工科大学に受かった。大学ではゲームを作ったり自分のドメインを購入してサイトを作ったりした。CSS難しすぎると思った。すごく雑なJavaScriptでユーザスクリプトを書いたりもした。自分が想像するものが作れて嬉しかった。

就活の時期になり、Web系の企業を思い浮かべた。いくつか受けて、結果内定をもらった。「株式会社はてな」に受かった。

そしていま、株式会社はてなでマンガ系のサービスにてWeb系プログラマとして働いている。